おはようございます、溝田接骨院・いんちょーです。
今日まで連休ですね。
この連休を機に、お盆休みに突入の方も多いと思います。
いい連休を過ごされてますか?
当院も、日曜・月曜とお休みを頂く予定ではありました。
ただ今回、急な予定が入り日曜・月曜と連休にもかかわらず、お休みを金曜午後からいただきました。
金曜・土曜とご予約をいただいてた患者さんには、大変ご迷惑をおかけいたしました。
当方の勝手都合にもかかわらず、予約変更にお応えいただきました皆様には、心より感謝申し上げます。
今回、なぜ連休が続くにもかかわらずお休みをいただいたか?を書くことにしました。
というのも、急なお休みを取らせていただき、一部の患者さんにもご迷惑をおかけしました手前、やはりその理由をお伝えした方がいいよなぁ、なんて思いまして。
多くの方は予想がついてると思いますが…。
ほんのつい先日、後輩が突然亡くなりました。
彼の名は「斎藤峰暁」といいます。
自分が以前研修をしていた、品川にある「小山接骨院」の後輩です。
自分が同院に入ったあと、数年間後輩がいない状態が続いていました。
それまでは、ほぼ毎年スタッフが入ってきて…だったのですが。
謂わば、ずっと自分が「下っ端」でした。
そんな折に入ってきたのが彼でした。
その時すでに自分は30手前。
そんな自分よりも10歳も若い彼。
ジェネレーションギャップを感じたものです。
今思えば何てことないのですが、当初はどう接していいものやら…なんてこともありました。
そこからは、共に仕事をし、勉強をし、遊び…と過ごしてまいりました。
彼の実家は大田区です。
お父様も柔道整復師で、道場を開いておられました。
しかもその彼のお父様と自分の父が、同級生だったというご縁。
偶然とは面白いものですね。
そんな彼の実家の接骨院にも何度か伺ったりもしました。
パソコンが動かないんですけど~…といわれて行ったこともありましたねぇ(笑)。
ある時、彼が小山接骨院を卒業し、自身で開院することになりました。
それが彼の実家からそんなに遠くない川崎でした。
こちらも、開院直後に伺いましたね。
そこでいろいろ治療の話やら何やらしたもんです。
まぁ目的はその後の焼肉だったりしたこともありましたが(笑)。
その後、デイサービスも始めました。
この時も見学させていただきましたね。
朝一でドーナツを買い込み、川崎に向かってビューンと。
この辺りから彼のすごさを感じ始めました。
そこから転居し、接骨院も新たに併設して、さらに大きくなりました。
とまぁ、こう見るといろいろやってるなぁ~なんですが。
そこ…例えば商売に偏るわけでもなく、治療家として常に新しいことを学んでいました。
そんな10歳も若い後輩なのですが…。
自分から見た彼は、とにかく行動力がすごい。
しかも、物怖じせずにやる!と決めたらどんどんやる。
この辺りは、本当に尊敬していました。
ですから、事あるごとに彼に相談したりもしていました。
今ふと「メッセンジャー」でのやり取りを見ても、ほとんど自分が「ちょっと教えて~」というものばかり…。
今回当院が看板を新たにしましたが、それもまた彼に相談しました。
あくまで自分から見た彼ですが。
とにかく頼り甲斐のある男でした。
また自分というものをしっかり持っている男でもありました。
だから物事をはっきり言うし、白黒はっきりさせるという面も持っていました。
しかしズバッと言っても嫌な感じがしない。
きっと彼の裏表のない性格がなせる技でしょうね。素直でストレート。
人を信用しない訳ではないのですが、人にやらせるくらいなら自分でやった方がいいというタイプでもありました。
今でこそスタッフを多く雇って、大きな事業を抱えるまでになっていましたが、昔は「全部自分でやらないと気が済まない」と言っていました。
「自分と同じことが出来なきゃいやだ」って。
だから彼がスタッフを雇い始めたと聞いたときは驚きました。
それでも「やはり自分でやりたい」と相変わらず言っていましたけどね。
そんな男でしたので、自分の方が10歳も上のくせに「おんぶにだっこ」で頼ってばかりでした。
しかも、事業を拡げてどんどん成長していく姿は、自分からみてもある意味ロールモデルでもありました。
後輩でしたが、自分としてはとても尊敬できる男でした。
いろいろ行動してきて自分の家族も持って、「やっといろいろ整ってきたんだろうな」とか、「これからもっと大きく飛躍するなぁ」と思っていました。
実際、彼と共に働いていた当時から、その行動力はありました。
だから当時、「将来は業界のトップに立って、今の業界を改善してくれよ」と言ってました。
冗談っぽく言ってはいましたが、内心本気でそう思っていました。
またそれが出来る男だと思わせてくれました。
だから、まだまだこれからずっとずっと成長していくんだろうと。
いろいろやってきたことが、そろそろ整ってくるんだろうと。
そうしたら、ますますしっかりと歩みを重ねていくんだろうと。
そう思っていました。
近々ロールモデルとして、取材させてもらおうと思っていました。
ところがほんの10日ほど前。
診療後に事務仕事をしている時、小山接骨院の院長先生から突然の電話。
正直、何事か???と思いました。
あ、いや、待て。
またみんなで食事会のお誘いかな?と思いました。
たまにその院長と彼と数人で集まって食事会などをしたりもしていたので。
すると開口一番、「ちょっと落ち着いて聞いてほしいんだけど」。
次の瞬間、「…え」。
全然ピンときませんでした。
ん?夢か?と思うくらいに。
もちろん驚きましたが、現実感がないんですよね、こういうときって。
だって、自分より10歳も若いんですよ?
だって、自分より行動力あって事業を大きく抱えてるんですよ?
だって、結婚もして自分の家族をもって落ち着いた環境を手に入れているんですよ?
だって、これからですよ?
なにより、あれだけ元気なんですよ?
亡くなるなんて信じられるわけないじゃないですか。
どこかで悪ふざけでもされてるんじゃないか?
誰かがどっきりでもやって笑われてるんじゃないか?
とまで思うくらいに。
お通夜や告別式中も、なんで峰暁が先なんだ?って。
ずっと思ってました。
おかしいじゃないですか。
こっちの方が10年分「あっち」に近いんですよ?
入口に貼ってあった彼の子供のころの写真を見たら、ものすごくつらくなりました。
親御さんのお気持ちを思うと、いたたまれなくなりました。
なにより、彼は充分に人生を生きられたのかな?って。
やりたいこと、もっとあったんじゃないか?って。
子供のころから生きてきて、やっとここまでやってきたのに…って。
そこからはもう、彼の笑った顔しか思い出せないんですよ。
彼がいつも自分を呼ぶときの「ヒロ先生~」っていう声が脳内でずっと再生されるんですよ。
もっともっと彼に話を聞きたかった。
彼の大きくなる「姿」をもっと見たかった。
彼なら、きっと何かやってくれると思ってた。
また旅行をそろそろ計画しようと思ってた。
彼にお礼をしなくちゃなぁと思ってた。
なにより、近々話を聞きにいこうと思ってた。
全部、なくなりました。
この世から、未来永劫。
この世から、彼の「形」がなくなるんですよ。
だから今回、どうしても彼に最後の挨拶をしたかったんです。
普段なら、お通夜くらいがいいところです。
告別式まで出るほど(関係性とか)かな?とか。
仕事もあるし、そこまで時間割けないしな、とか。
でも今回、どうしても彼に最後の挨拶をしたかったんです。
ですから、患者さんにも無理言って、お休みさせていただきました。
人によっては「休みすぎだろ」と思われるかもしれません。
でも、このタイミングを逃したら、もう彼の顔を見れないんです。
どうしても、彼の顔を記憶に残したかったんです。
本当に患者さんにはご迷惑をおかけしました。
でも、今回お休みをいただいて、彼に会いに行ってよかったです。
きっと行かなかったら、ものすごく後悔していたと思います。
そんな彼の顔を見てきたんですが、今でもまだピンと来ていません。
まだ居そうな気がしてなりません。
「あ、もしもし?お疲れ様で~す。あの~、今度の~…」って電話がありそうな気がしてなりません。
思い立ったが吉日、とはよく言ったもんです。
後悔先に立たず、とはよく言ったもんです。
「その時」を逃したら、もう二度とないんですよね。
「またいつか」なんて、ありそうだけどないんです。
いつか…なんて先のことを考えるくらいなら、その時やらなきゃダメなんですよね、やっぱり。
分かっているつもりだけれど、やれないんですよね。
彼は、それが出来てた男なんです。
今回あまりに突然で「出来なかったこと」が多いのですが、それでも今回ばかりはどうしても行かなきゃいけない「その時」と思い、お時間をいただきました。
そんなわけで、今回お休みをいただいた次第です。
長くなりましたが、自分の中での整理の意味もあって、書かせていただきました。
これからも、彼の笑顔と共に頑張ってまいりますので、よろしくお願いいたします。
溝田接骨院 溝田博之