おはようございます、溝田接骨院・いんちょーです。
さて、巷はオリンピックのニュースで持ち切りですね。
そんな中、羽生結弦選手のコメントがテレビで流されておりました。
その中で、耳に残ったフレーズがありました。
「ただひたすら、やるべきこと、これ以上ないことをやってきたので、何も不安要素はない」
ここまで言い切れる羽生選手は、本当にすごい。
自分の出来ることは、すべてやった。限界までやった。
だからこそ、不安がない。
逆に言えば、不安がなくなるくらいまで練習に取り組んだということですよね。
なかなかここまで言えないですよね。「まだやり切れてないのではないか」とか。
でも、そこまでやったから、不安もない。自信に満ち溢れている、というところでしょうか。
むしろそこまで追い込むくらいやらないと、自信なんて持てないのかもしれません。
それをやり切ったという自分に対して自信が持てているのかもしれません。
彼のスケーティングは、素人ながらに見ていても「迷いがない」感じがします。
これまた、自信の表れかも。
さて、自信という言葉。
先日セミナーを受けていて、この言葉が出てきました。
その時ふと気づいたんですよ。
「自」と「信」。
自らを信じる、と書くんですね。
あるいは、自分を信用するとか信頼するとか。
ネット検索すると、大体似たような事が書いてあったりします。
皆、同じことを思うのかもしれません。
自信があるないとかよく言いますが、ある・ない、というものではない気がしています。
自分を信じられるか、自分を信用しているか、だけ。
羽生選手は、限界まで努力して、そんな自分を信じられているんではないかな?と。
だから、「自信をもって」ああいった発言や行動がとれるのかもしれないですね。
辞書なんか見ても、「自分で自分の能力や価値などを信じること」と書いてあります。
自分を信じるのは、誰なのか?ということですね。
それ、自分ですよね。
つまり、自分を信じる信じないは、自分次第ということ。
つまり、自信が「ある・ない」ではなくて、自分がそう捉えられるか?だけなのかもしれません。
ただ単に、自分が自分を信じてあげればいいだけなのかもしれません。
例えば、〇〇をするのに自信がない、とします。ありがちですね。
でも、自信がない・出来ないと思ったら、出来るわけがない。
だって、本人が出来ないって言っちゃってるし。
本人が出来ないって言ったら、そりゃ出来ない。
でも、出来る!と信じてやったら、出来ない!と思ってやるより可能性高くないですか?
もちろん、そう思えるだけの背景は必要だと思います。
練習とか準備とか。
その上で、出来る!と自分を信じることが出来て、初めて自信が生まれるのかな~と。
だから、「ある・ない」ではなくて、「信じる」と思うことが自信なのかな、と羽生選手のインタビューをみて思いました。
あれだけ〇〇したから出来る!というより、まず「出来る!」と自分を信じちゃうことから始める。
そこからも、自信は生まれるのかもしれませんね。
だって信じるかどうかは、自分で決められますから。
今日のお話は、まっっっったく「接骨院」と無関係なお話でしたね。
すみません。
なんでこんなお話かというと、自分の気付きをアウトプットするのは大事だからです。
それによって自分自身を認識出来ますしね。
わたくしもよく、「自信ないなぁ」とか言いがちなので、自省も込めて。
でもまぁ、たまにはこんなお話もしていこうと思ってます。
何しろ、ここ、わたくし「いんちょーのブログ」なので。
うっふっふ。
それでは!